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【突撃!隣のCTO】ビジネスは「単なるお金儲け」だけではない、社会貢献であるべき

2020年9月23日

レポート


テモナ株式会社 取締役CTO・中野賀通さん

様々なCTOにキャリアや原体験、これからの野望などをインタビューする、techcareer magazine(テックキャリアマガジン)とのコラボレーション企画「突撃!隣のCTO」。

今回は テモナ株式会社の取締役CTO・中野さんにお話を伺いました。教員としてキャリアをスタートし、国内外での成功や苦悩の経験から、現在は「恩送り」をテーマにしたスタートアップ支援をミッションに幅広く活動されています。なぜ「恩送り」に辿りついたのか、中野さんのキャリアジャーニーを追いかけながらお話を伺いました。


■ゲームを自作で作った幼少期

ーエンジニアを志した原体験とキャリアの出発点を教えてください

僕の実家は起業家一族で、実家はバイク屋を経営していました。僕が小学校高学年のとき、父親から経営学の勉強の一環として「お小遣いをあげるから、家業を手伝ってみないか」と言われ、中古バイクの仕入れを手伝っていました。バイクがきっかけとなって電子制御されている機械に興味を持ち、その頃から機械いじりをしていました。当時、親からはゲームを買ってもらえなかったので、ポケコンで自分でゲームを作ろうとしました。ベーシックマガジンを買い、そこに書いてあったプログラムを参考に競馬や棒倒し、ブロック崩しなどのゲームを自作していました。中学からは工業校の付属中学に通い、高校も工業校に進みました。工業高校では、電子工学やロボティクス工学を学び、その後、教員試験を受けて、教壇に立ちました。

■キャリアの出発点は学校の先生

ー高校を卒業して、すぐに教員になったのですか?

はい。当時、文部科学省の高大一貫のプロジェクトで、高校で勉強しながら大学の単位を取れる制度がありました。大学を時短で卒業できるというもので、好奇心からチャレンジしてみました。当初はどの大学でも単位互換が認められていましたが、在学中に制度変更があり、付属の大学の場合しか単位を認められず、他の大学では単位の互換が認められないとなりました。僕自身、付属の大学に行きたかったわけではなかったので、寝耳に水です。「これからどうする?」と途方に暮れていた時、学校の掲示板で「教員募集」の張り紙を見つけ、たまたま募集要件が自分に当てはまっていて、社会の役に立てるのでは?という想いがあって応募したところ、採用されました。ですからキャリアの出発点はエンジニアではなく学校の先生です。教壇に立ち、情報工学だけではなくロボティクス工学や電子工学も教えていました。

ー教員時代で思い出に残るエピソードは何ですか?

中学生を担当していた時、ある生徒が「国家試験を取りたいから飛び級で教えてもらいたい」と僕を訪ねてきました。なぜ国家試験を取りたいのか、理由を尋ねると「電気工事への関心が高まって、自身の実力を試したい。年齢に関係なくチャレンジしたい」と返ってきました。他の先生にも相談したところ、「高校三年生になったら学べるから今は我慢しろ」と断られたようでした。そこで僕は公式な講習として認めてもらえそうな最低限の人数をはじき出し、「よし! 20人集められるか? 集められるなら国家資格の講習をしてあげる」という条件を出しました。結果的に、彼は本当に20人集めてきたのです。そうなると後には引けません、校長に「彼がこれだけの熱意を持ってチャレンジしようとしており、教員として無視はできません。無給でも構わないから教えさせてください。」と直談判しました。熱意に負けた校長から、講習という形式で講義の許可をいただき、生徒たちの努力もあって、彼らは最年少記録で第三種電気主任技術者第3種を取りました。中学2年生、3年生が国家資格に合格したと話題になり、専門雑誌で取り上げられました。(写真下段に写っているのが僕の教え子たちです)

情熱が上層(この場合だと、先生や校長)を動かす姿に感銘を受け、いまの僕を形成する経験となりましたね。

ーその後、教員を続けなかったのはなぜでしょうか?

ある日、生徒の進路相談をしていた時に、「お前ら、5年後10年後のことを真剣に考えろ」と言ったことがあって。その時、生徒に向かって発したはずの言葉が、自分自身にも響いたんです。「あれ、自分自身はどうなんだ?」と。校長を目指していたわけではなかったので、自分のキャリアを考えはじめるきっかけになりました。教員の経験しかなかったので、キャリアアドバイスが欲しいと思い、メンターである叔父に相談しました。叔父から、「大手企業とガチンコで勝負している”ベンチャー企業”ってあるだろ?未経験でも活躍できるし、裁量も大きいぞ」と言われ、ベンチャー企業を薦めてくれました。薦められたいくつかのベンチャー企業を調べたところ、規模は小さいながらも、大手企業と対等に渡り歩いている企業もありました。現状維持ではなく、積極的な投資を行い、拡大路線を戦略的にとっている会社に転職しようと思っていたので、特定領域でシェアNo1をとっているような、いわゆる新興ベンチャー企業の面接を受けて数社から内定をいただきました。

当時のキャリアではほぼ未経験と同じ状態で、大学卒業もしていなかったので、チャンスが沢山あり、腕一本で勝負できる企業を選択しようと考えていました。しかし、教えていた中学3年の生徒たちから「俺たちが卒業するまで辞めないで」と懇願され、嬉しさと困惑の気持ちで悩んだ結果、生徒たちが卒業するまで自身の転職は先送りすることにしました。内定をいただいて時間が経過していたため、内定辞退をすべく内定企業へ謝りにいきました。しかし、そのうちのある企業は「1年でも2年でも待つ」と言ってくれました。それが、エンジニアのキャリアとしての第一歩を歩くことになったエイジアという会社です。

■業績を短期間でV字回復した秘策

ーエイジアでのエピソードを教えてください

教えていた中学3年生の卒業まで教師を続けながら、2005年夏ごろから、無給で社会人インターンとして、株式会社エイジアに入社しました。入社8ヵ月後の2006年1月ライブドアショックが起こりました。ライブドアと同じ会計事務所だったことが大きな理由となって、株価が大暴落しました。社内は静まり返り、毎週1人ずつ辞めていきました。仲間が辞めて行く中で「これからどうしよう?」と途方に暮れていると、上司から「お前、若いから新規事業作れ」と指示されました。他にどうしても行きたい会社があったわけでもなかったので、エイジアに留まり、新規事業の担当に。持続性があるビジネスをしたいと考え、サブスクリプションビジネスやSaaSビジネスを立ち上げました。

特に、SaaSビジネスでは大量なデータ処理や冗長性を担保する必要があったため、Dellの物理サーバーを購入し、運用実績が少なかったVMwareでプライベートクラウドを構築しました。当時、AWSはまだなかったんですが、AWSのようなものを自分たちで作っていたという感じですね。サーバー自体は2台程度しかないのですが、仮想サーバーはその中で200台位動いていて、それがVMware VMotionという技術で冗長性を担保したりスケールアウトする仕組みを作りました。AWSの仕組みを先取りしたことが奏功し、業績は3~4年でV字回復しました。

特に、SaaSビジネスでは大量なデータ処理や冗長性を担保する必要があったため、Dellの物理サーバーを購入し、運用実績が少なかったVMwareでプライベートクラウドを構築しました。当時、AWSはまだなかったんですが、AWSのようなものを自分たちで作っていたという感じですね。サーバー自体は2台程度しかないのですが、仮想サーバーはその中で200台位動いていて、それがVMware VMotionという技術で冗長性を担保したりスケールアウトする仕組みを作りました。AWSの仕組みを先取りしたことが奏功し、業績は3~4年でV字回復しました。

教員時代はロボットや電気工学に携わってましたが、エイジアではソフトウェアサービスを急伸させるビジネスモデルやプロセスを学びました。サブスクリプションビジネスやSaaSビジネスのほかに、マーケティングのコンサルティングサービスも立ち上げました。さらにエンタープライズ領域へお客様を広げ、官公庁や地方自治体からも受注しました。また、海外進出の際には「お前、鉄砲玉として行ってこい、日本の技術力を示してこい!」と会社から言われ、中国やベトナム、タイにも行きました。

まず中国のチャイナテレコムにプロダクトを持ち込み、販売の約束をして調印しました。しかし現地のパートナー企業を集め教育をしている最中、尖閣諸島問題が起こり、目の前でイオンが襲撃されました。会社としても反日感情に対する恐怖から逃げるように中国を離れました。次にタイに行きましたが、議会の解散を求めるデモ隊が繁華街を占拠した時でした。オープンテラスでご飯を食べていたら「赤なのか黄なのか?」と聞かれ、答えませんでしたが、もし答えていたらボコボコにされていたと、後日知人に言われました。とにかく、政治に振り回されていましたね。一方、ベトナムは親日であるという点で国民性が日本人に近いという点で仕事も滞りなく進められ好感を持ちました。

■必死さが違う海外のエンジニア

ーリスクがあるにも関わらず海外進出を目指したモチベーションは何ですか?

端的にいうと、日本では例えば、便利なサービスやフレームワークに頼らないと開発ができないエンジニアが増えてきているという印象があって、「便利なものを便利に使える」レベルは高まる一方で、ライブラリを自分で書くという技術力が低くなっていると感じはじめたからです。海外でも「便利なものを使う」という考えはありますが、計算能力や数学的なスキルに関しては日本人より優秀な人が多いと思います。その背景として、海外ではITという職種に対する意気込みが違うからかなと。IT業界の平均年収とそれ以外の業界の平均年収を比べると中国やベトナム、タイは4倍から、インドはなんと10倍も違います。一方、日本のIT人材の平均年収は他の業界と比べて1.8倍ぐらいです。やはり4倍から10倍も違うと必死に勉強しますよね。必死さに関してはインドの場合、根底にカースト制が仕組みとして存在し、階層で職業が決められていることも理由かと思います。IT産業は歴史が浅い職業なので、カースト制の対象外。だから多くの人がより必死になるんです。言葉の壁によるコミュニケーションのミスやロスはありつつも、必死に取り組む彼らの姿を見ること自体に価値が高い思いました。

ー海外進出の結果、どのような気付きを得ましたか?

数十億円規模のサービスのプロマネを担当し、日本を代表する会社として世界と戦っていくのは刺激的で天職だと思っていました。しかし、海外で働いたことで、プロダクト・アウトとして自分たちが素晴らしいものを作れば売れるという考え方が全く通用せず、市場(ユーザー)が望むものを完璧でなくても手早く作り、実際に使ってもらいながらブラッシュアップしていくという気付きを得ました。まさに、常識や当たり前だと思っていたことが逆転する経験だと思います。加えて、エンジニアという職業の捉え方の違いも理解できました。

それから「自分が海外で経験したことをみんなに伝えたい」という想いが芽生え、「会社という枠組みを超えて自身の経験を共有したい」と思うようになりました。その頃、知人や友人の紹介で、僕の経験に興味をもっていただいたスタートアップの相談も受けていたので、多方面から「ベンチャー支援の会社を作って欲しい」という要望がありました。僕も「エイジアの中野」ではなく、「中野」で勝負したいと考え、エイジアを離れて起業することにしました。本当に難易度が高く責任のある仕事で、全ての判断を自分で行いその結果を受け入れるという環境に身を置きたかったんだと思います。その登記準備をしながら、複数社の技術支援や技術顧問をしている時に出会った一社がテモナ株式会社でした。

■号泣する社員 涙のワケ

ーテモナに入社したのはなぜですか?

テモナ株式会社は「ビジネスと暮らしを”てもなく”する」という理念で、理念ドリブンが非常に強い印象でした。実現したいことに対して会社や自身のレベルが追いつかず、日々の失敗による不甲斐なさで泣いている社員が多かった記憶があります。「本当に悔しい!」と嗚咽が出るほど泣いていた社員もいました。そこに心を打たれましたね。当時、技術顧問としてお手伝いしていましたが「中野さん、中に入ってくれないと変わらないよ」という話になり「最短で上場させたいから手伝ってほしい」と頼まれ経営に参画しました。エンジニアも2,3名というフェーズでした。SaaSというビジネスモデルで業績を短期間でV字回復したエイジアでの経験があったので、ストック型のビジネスモデルに親和性を感じた点も大きいです。

■グループ会社の立ち上げと後任育成の取り組み

ー技術責任者として今取り組んでること、これから取り組みたいことを教えてください

テモナでは、メインの「サブスクストア」(ECでの単品通販・D2C・サブスクのビジネスに必要な商品管理、顧客管理等の定期購入システム・カートを一元管理できるクラウドシステム)事業は業種業界を問わず利用企業が増加し続けており、軌道に乗っているため、後任に託しています。技術責任者としては、技術力や組織力を引き上げるために、「サブスクリプション × AIテクノロジー(人工知能)」をテーマにサービス開発をするテモラボという戦略子会社を率いたり、技術者育成をしています。AIの分野ではグループ会社であるオプスデータ株式会社の代表として「ユーザーの為にどう技術を還元していくか」というところに注力しています。

テモナグループ以外では、ほかにもペイフォワード、ハンズオンという会社も経営しています。これらの会社では、先人の先輩方にうけた恩を次世代の人に恩を紡ぐ形で「恩送り」をテーマに会社を経営しています。ただのマネタイズや耳障りのよい言葉を並べるだけでなく、本質的な忌憚のない言葉で伝えています。ハンズオンでは一発当ててやろうというスタートアップではなく、「創造性、革新性、公益性」をキーワードにスタートアップを支援しています。ペイフォワードは大手のDX支援を中心に知見を大手企業にも展開しています。

ー経営陣の一員として今取り組んでること、これから取り組みたいことを教えてください

社長や取締役などの立場にある者として、永遠のテーマに「後任育成」があると思います。社長は次の社長を作るのが仕事であり、取締役も同じかと思います。同じ人が長く続けるのは、権限の一極化を招き、新しい意見や発想が生まれにくいと思うので、取締役は定期的に変えるほうが、健全だと思います。また、人徳の部分を含めて、現場の中を見にいくような人でなければ、組織が硬直化してしまったり、後任が育たない環境になってしまいます。だから僕は、後任を育成してポジションを譲るのが最大のテーマですね。道を作り新陳代謝をして会社を経営していくことを考えています。

■機能的な価値と感情的な価値を再考する

ーこれからあるべき技術者(エンジニア)像とは?

「自分の価値とは何か?」と常に考えられることが大切かと思います。価値の大別では2種類あって、それは「機能的な価値」と「感情的な価値」です。機能的な価値はRubyが書ける、Pythonが書けるという技術的なものです。感情的な価値は「コイツと働きたいから仕事する」「この人に任せれば安心」という感情的なものです。機能的な価値は置き換えが可能ですが、感情的な価値は置き換えができません。だからこそ、感情的な価値をどうやって高めるかを考えながら、自信や実力を磨いて欲しいです。そして「価値を決めるのは誰なのか?」を認識して仕事をするべきです。僕の場合は、価値を決めるのは隣の誰かや先輩ではなく、ユーザーだと思います。あなたにとって価値を決めるのは誰なのか?何なのか?そして対価をもらってそれ以上にどんな価値を提供できるのか? そこを常に考えるのが重要です。

現状、エンジニアは良くも悪くも売れっ子です。「こんな給料じゃ働かないよ」とか「リモートワークがいい」とか福利厚生の内容を考えがちだと思います。しかし条件面という軸で生活している人は短期的な視野しか持てないため、いずれ淘汰されていくと思います。もちろん、条件面はある一定の水準はクリアしなければなりませんが、「ユーザーに対してどれだけのインパクト、価値を届けられているか」「影響力や価値を提供できているのか」を考えなければなりません。チヤホヤされている人もいると思いますが、一歩引いてクールダウンして考えてもらいたいと思います。

■「やると言ったらやる!」それだけです

ー中野さんの「信念」「価値観」「大切にしていること」は?

「信念」には太いとか細いとか方向性があり、どちらでも構わないのですが、具体的に絶対ここは曲がらないという硬度があれば良いと思います。

僕は昔からCTOを「ちょっと楽しいおじさん(Chotto Tanoshii Ojisan)」って自称しています。CTOや取締役と名乗ると、社員との距離感も生まれ、構えられてしまいます。それよりも近いところに行きたいので、変な自称でふざけています。社内報に僕を模したアニメが使われていたり、コスプレされていたりします。中には「プライドがないのか?」と思う人もいるでしょう。もちろんプライドはありますが、大切なのは威厳的なプライドではなく、硬度の高い「信頼」です。変なプライドはかなぐり捨てて、本当に必要なプライドだけを折らずに人生で持ち続けるのが重要だと思います。折れない部分は、「やると言ったらやる!」それだけですね。有言無実行は好きじゃなくて、そこだけが僕が唯一誇れるところじゃないでしょうか。

■社会貢献のきっかけを作る事業を展開したい

ー中野さんの目標や野望を教えてください

これまでは自己分析によるスキルアップを大切にしてきましたが、今後は「恩送り」のように、人のためになる行動を、もっと意識していきたいと思います。最近では、COVID-19などの影響を受けて、年収や名声、地位などは現代の奴隷制度なのではないかと考えるようになり、「それって誰かの価値観でマウントしているんじゃないの?」と強く思うようになりました。マウントしたり否定することではなく「人それぞれ色々な考え方や生き方もあるよね」みたいな寛容な社会を技術で実現したいです。会社はどのような社会課題を解決するのかを明確にし、ビジネスとして社会貢献する事が大事だと考えています。その社会貢献を継続的に安定して行うためにも、しっかりとビジネスモデルを組み、社会に対して密接な接点を考えるべきだと伝えています。

そのため、ビジネスは社会貢献であるべきだと広め、今後もB2B事業を中心にビジネス(社会貢献)をするきっかけを作る仕組みを世の中に積極的に仕掛けていきたいですね。

―最後に読者へお知らせしたいことがあったら、教えてください

Webマーケティングやアドテクを使ってレガシーな物流を変革しながら、サブスクリプションという新しいビジネスモデルをどのように反映するのか、取り組んでいます。EC領域は日本のエンジニアにとって人気がないかもしれませんが、テクノロジーやビジネスの面でみてもかなり難しく面白い課題ににチャレンジしているので、腕っ節で勝負したい人はぜひ応募してください。

ー取材を終えて

教員時代は中学生の熱意に突き動かされ、テモナでは社員の涙に動かされた中野さん。私利私欲を超え情熱でキャリアを築いてきた半生に胸が熱くなりました。豊かな一方で失っていくものを冷静に捉え、Withコロナの中、次なる社会貢献に向け動き出す中野さんから目が離せません。

プロフィール:中野賀通

元教員。教員時代は、工業系の大学付属の高校と中学校で、技術家庭、電子工学、電気工学、ロボティクス工学、情報工学を中心に教鞭をとる。その後、国内のベンチャーでSE・PM,システムコンサルタントとして経験を重ね、国内外とわず、中~大規模案件を中心にマーケティングシステムの提案活動から導入までを行う。海外展開やアライアンス先開拓、チーム立上げ等も担当。現在はテモナ株式会社取締役CTOとして子会社等の代表取締役も兼務している。